日本として初の出場となる、第5回オリンピックストックホルム大会開会式まで一週間に迫っていましたが、日本チームの中では、プラカードの国名表記について大いにもめていました。
金栗四三(中村勘九郎さん)が、JAPANは、英国人のつけた呼び名であり、自分はあくまでも日本人だと言い張るのです。
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開会式プラカード国名表記
嘉納治五郎(役所広司さん)は、四三達選手団より大いに遅れてストックホルムへ到着しました。
すでにオリンピック開会式は一週間後に迫っており、開会式の行進で掲げるプラカードの表記を決めなくてはなりませんでしたが、アルファベット英字のJAPANという表記に対し、四三は絶対に反対だと言い張ります。
世界の人に、日本がオリンピックに出場していることを知らしめるためには「日本」という漢字では読めないのだから、英語表記で読めなければ意味がないのだと、日本選手団監督である大森兵蔵は説得しようとするのですが、四三は断固として聞き入れません。
当日、プラカードを持つ予定の四三は「JAPAN」という表記のプラカードであれば、持たないとまで言い、一向に譲ろうとはしません。
すると、最初は、JAPANが良いと言っていた三島弥彦(生田斗真さん)まで、四三に賛同しだし、「金栗君と僕は親友だ。国の名前が違っては共に戦えない」という始末です。
四三は、その場にいる、嘉納治五郎、大森兵蔵、その妻の安仁子(シャーロット・ケイト・フォックスさん)、三島弥彦、内田公使に、切々と自分の思いを語ります。
日本を離れて一ヶ月、ストックホルムに向かう道中や、到着してから様々な未知の体験をして、くじけそうになる度に、日本にいる自分たちを応援してくれる人たちの顔を浮かべて乗り越えてきた・・・と。
「俺はJAPAN人じゃなか、日本人です!」
黙って、その話を聞いていた治五郎は、突如立ち上がって「頼もしい!」と叫びました。
自分が遅れてきたために、皆がバラバラになってしまったのではないかと心配していた治五郎でしたが、かえって、その不在が、皆の相互理解、成長を促したと確信したのでした。
そして治五郎はプラカードに表記する国名を書き記すのでした。
ストックホルムオリンピック開幕
1912年7月6日、第5回オリンピックストックホルム大会開会式の当日は、風一つない快晴の日でした。
入場行進の前に、オリンピックスタジアム横の広場には、28カ国、約3千人の代表が集まっていました。
イギリス、ロシア、アメリカなどの大国の選手団は、百人を超える人数でしたが、日本は代表選手である金栗四三、三島弥彦、そして選手団監督の大森兵蔵、そして嘉納治五郎を加えてもたった四人にしかすぎません。
そこで、人数を増やすために、京都大学からベルリンに留学中の田島錦治(たじまきんじ・ベンガルさん)が呼び寄せられていました。
そして、スウェーデン人ガイドのダニエルまでもが、遠目にはわからないだろうと行進に参加させられました。
午前10時半、2万人の観客が見守る中、ストックホルム・スタディオン(Stockholms stadion)では、ストックホルムオリンピックの開会式が始まりました。
日本代表として、三島弥彦は日本国旗を、そして金栗四三はプラカードを掲げての行進です。
客席で声援を送る大森安仁子に答えるように、四三は「NIPPON」と書かれたプラカードを掲げて見せるのでした。
開会式の直後は、弥彦が出場する百メートル走の予選が始まりました。
ロッカールームで、鬼気迫る表情の弥彦に対し、大森兵蔵は声をかけます。
「三島君。短距離というのはタイムを競う競技だ。だから、一緒に走る選手をライバルと思うのではなく、タイムという同じ敵と戦う同志と思いたまえ。」
そして百メートル走競技の予選で、弥彦は四人の選手とともにスタートを切ります。
四三も観客席から大きな声援を送ります。
しかし、弥彦はすぐに他の選手に引き離され、結果は最下位。
一位の選手には10メートル以上もの差をつけられての敗北でした。
レース後、四三、治五郎、安仁子は弥彦に会いにロッカールームに行きますが、弥彦は予想に反して笑顔を浮かべていました。
「自己最高記録を出したのですから成功だと思っています。」
弥彦の記録は11秒8、12秒を切ったのは初めての事でした。
四三と握手を交わしながら弥彦はこう言います。
「日本人には短距離は無理なようだ。君にかかっている。頼むぞ。」
四三は、ロッカールームを出た後、大森に一万メートル出場は棄権すると告げます。
マラソン競技一つに絞り、弥彦の無念を晴らすのだと決めたからでした。
その四日後に弥彦は200メートルの予選に出場しますが、この結果も惨敗でした。
ストックホルムオリンピックの状況が日本の新聞で報じられている頃、東京では、美濃部孝蔵(森山未來さん)は師匠である橘屋円橋(松尾スズキさん)から七月の後半に、初高座に上がることになったと知らされます。
まだ小咄の一つも教わっていないという孝蔵に、円喬師匠は、君には何かあるから出来るよと言います。
それ以上の何の助言ももらえない孝蔵は、ひたすら神社の境内で円喬師匠の所作を真似る練習をするばかりなのでした。
迫りくるプレッシャー
四三が出場するマラソン競技の本番が近づいてきていました。
大森の容態はまた悪化し、四三は一人でトレーニングに励みます。
スウェーデンの夏は暑く、本番に備えて体力を保持するために、四三はトレーニングの量を減らすことにしました。
練習の時間が少なくなり余裕が出来ると、自然と思い浮かぶのが故郷の事でした。
木陰で寝転んで休んでいる時、春野スヤ(綾瀬はるかさん)が歌う自転車節が聞こえたような気になるのでした。
400メートル走の予選を前日に控えた弥彦に、四三は、短距離は日本人には無理そうだと言った言葉の意味を尋ねます。
「言葉通りさ。日本では無敗の僕が、百も二百も圧倒的敗北さ。でも今は走れることが楽しいんだ。明日も走れると思うと嬉しいよ。こうなったら徹底的に負けてやるさ。」
笑顔で語る弥彦に、四三は胸の内を明かします。
「俺は何かモヤモヤしたものが、何かが居座っとるとです。」
そんな四三に弥彦は、西洋人はそれをプレッシャーと呼ぶのだと教えます。
西洋人も抱えているものなのだと、そのモヤモヤの正体が分かったなら怖くないと四三は笑顔になるのでした。
翌日の400メートル走予選本番、四三は体調の悪い大森に代わってコーチを任されます。
また、レース前には弥彦からカメラを渡され、走る姿を正面から撮ってほしいと頼まれたので、四三はゴール付近に待ち構えていました。
いざ、弥彦がスタートラインに並ぶと、選手は弥彦ともう一人しかいませんでした。
レースにエントリーしていた5人のうち3人が直前に棄権していたのでした。
予選2位に入ると、準決勝に進むことが出来るため、完走さえすれば、予選を通過できるという状況になっていたのでした。
号砲が轟き、弥彦は見事なスタートダッシュでリードをします。
しかし、徐々にその差は縮められ、レース中盤でもう一人の選手に追い抜かれてしまいます。
それでも、弥彦は諦めずに最後まで全力で走り切ったのでした。
その弥彦の懸命な走りに見入ってしまった四三は、カメラのシャッターを切るのも忘れてしまいます。
弥彦の記録は56秒、東京の羽田で行われたオリンピック予選での記録を3秒も縮めた記録でした。
観客席から駆け下りてきた嘉納治五郎は、「よくやったぞ!準決勝に進むとが出来るとは!日本スポーツの記念すべき日だ!」と興奮して弥彦に言うのですが、弥彦はまだぜいぜいしながら、準決勝の棄権を申し出ます。
「充分走りました・・・。察してください。」
弥彦の胸の内を察し、治五郎はその棄権という決断を受け入れるのでした。
そしてとうとうマラソン競技の当日の朝。
四三が運河の水で冷水浴をしていると、弥彦がやってきて一緒に水をかぶり始めます。
「三島さん! 400メートル、見事な走りでした。俺も三島さんのように笑ってゴールします!」
四三は、そう固く決心していたのでした・・・。
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